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演劇は医療に応用できる?

先日建長寺で法話を拝聴した。
話を聞いて演劇というのが医療に応用できるのではないか?と思えるような知見が生まれた。

法話は公案「野鴨」の話だった。

以下野鴨

原文

擧。馬大師與百丈行次。見野鴨子飛過。
大師云。是什麼。丈云。野鴨子。大師云。什麼處去也。丈云。飛過去也。
大師遂扭百丈鼻頭。丈作忍痛聲。大師云。何曾飛去

引用 碧巌録 五十三則

口語訳

馬祖禅師と弟子の百丈が野原を歩いていた。
野原から野鴨が飛び去っていった。
それを見た馬祖禅師が百丈に尋ねた。
「あれは何だ」
「カモです。」
「どこへ行った」
「飛んで行ってしまいました」

すると、馬祖は百丈の鼻をひねりあげた。

百丈は思わず、悲鳴をあげる。

そこで馬祖は、ひとこと、

「飛んで行ってなどおらんじゃないか」

この話をされた際、法話をされた和尚は分別の話を引き合いに出してくださった。

ようするに自分と他との境界のことではないか?と思った。
エヴァでいうとATフィールド、イチジクの葉であり天岩戸ではないかということ。
自己と非自己、飛び去った鴨の行方。
鴨は自分であった。

では自分というペルソナを着け他者と自分を分ける癖がついている自分が仮面を自覚するには?
ペルソナを新しくつければ自分というペルソナを形にしやすくなるのではないか?
自分という我に囚われてがんじがらめになっている人は新しく何かを意図的に演じてみると意外と自分の仮面が認識できるようになるのかもしれん。
認識できれば扱いやすくなるだろう。
自分という支配からの脱却。
それができるようになるのやも。
いずれにしろ今度何かを演じるワークショップに参加してみてまずは体感してみようと思う。

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